青森三内丸山遺跡、縄文時代、縄文遺跡のページ

縄文時代、縄文遺跡、青森三内丸山遺跡

   
    青森三内丸山遺跡
 
  青森三内丸山遺跡は

 私が50年も前の頃は私達子供の遊び場だったところです。

 正確に言うと青森三内丸山遺跡の

 隣の丘になります。そこには三内霊園が有り

 その裏がガキどもの遊び場で、丈の短い草地に

 これもまた背の低いどんぐりに木が生えていて

 走り回るには絶好の場所だったんです。
 
 今は住宅地になっていますが当時は見渡す限り

 田んぼが広がり、その中を5〜6人のガキどもが

 4キロもの距離をぶらぶら歩いて行ったんです。

 喉が渇いて水を飲むために沢に下りて行くと

 そこら中に土器が散乱してえました。
青森三内丸山遺跡
縄文土器

 私が小学生の頃は青森駅の西口(東口がメイン)近くに住んでいて

 青函連絡船や汽車の汽笛、駅のアナウンスの声等がしょっちゅう

 聞こえてました。風向きのかげんでこの船や汽車が吐き出す

 石炭の煙が飛んで来て洗濯物を汚すのには、お袋も参ったようです。

 昔の子供はよく遊びました,凧上げ,独楽回し,メンコ、ビー球、鬼ごっこ

 かくれんぼとよくまあ色んな遊びが有ったものです。

 ゴム長にベルトで締め付けて履くスケートで道路を走り回る、

 それでも足りなくて路線バスのバンパーに長いロープを掛け、

 これに何人ものガキどもがつかまって次の停留所まで行き、

 止まったら車掌が追いかけて来るので、

 その前に蜘蛛の子を散らす様に 逃げるのです。

 今とは比べものにならない交通量でしたから、とは言うものの

 とんでも無い遊びを平気でしていたもんです。

 今では暴走族の様なものですね。

 この頃の移動手段は足です、交通機関はバスか馬車、

 冬は馬橇に変わります。

 年越しに欠かせない物は鱈、鱈は重いので、

 カマと口の間に荒縄を通して馬糞の上を引きずって来ます。

 そしてこれを刺身で食べます、美味しかったですよ。

 あれから50年(誰かのセリフです)よくまあこんなに変わったものです


 
テレビの無い時代に生まれ、今は携帯でテレビです。

 子供達の遊びもゲームが主、これで良いのでしょうか。

 間違った方向に進んでいるような気がしてなりません。
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県庁所在地で一番降雪量の多い青森市の冬はやっぱりスキーです。

 おにぎりを腰に結わい付け、10円玉1個握って持ってスキーをしに行きます。

 場所は三内丸山の三内スキー場です。

 スキー場といえばリフトが有りヒュッテも何軒か有るように思われますが

 何も有りません、ほんとに何もない、夏に走り回ったあの丘なんですから。

 名前も誰かが勝手に付けたものなんでしょう。

 そんな三内スキー場で何時間も遊んでいたんですね。

 そうそうさっきの10円玉の事ですが、青森駅から三内スキー場の有る

 津軽新城駅迄の往復の旅費、片道5円だったんです、懐かしいですよ。

 高校卒業して東京の大学(といっても学舎は千葉県なのですが)に入学

 そして中退、家業に就きました。事業の失敗、

 そして身体を壊した(特定疾患)ことも有り営業に疲れた私は以前にも経験の有る

 ラーメン店を始めました。10年頑張りましたが身体がついてゆけず、廃業

、そして現在に至っております。

   
趣味

 自分で言うのもなんですが「私は気違い」だと思ってます、

 物創りが大好きなんですが、 先ず保有している主な工作機械の紹介します。

 勿論我が家には低圧三相電力(200ボルト)が入っていて、

 旋盤、ボール盤、電気溶接機2台、コンプレッサー、スプレーガン、酸素。真空ポンプ2台

 ガス管のネジ切り機、(鉄等の)切断機、サンダー2丁、 電気ドリル(バッテリーも含む)4丁、

 インパクトレンチ、丸鋸2台、電気鉋,ジグソー等など、あとはパイレン、モンキーその他。

 よくまあこんなに揃えたものです。

 お陰様で修理は殆ど自分でやります。

 先日追突された車を、保険屋さんの厚意で自分で板金塗装しました。

 
追突され凹んだ後部ドアとバンパー 中古の後部ドア キズだらけの中古バンパー
養生してプラサフを吹いたバンパー 塗装完了したバンパー 後部を叩きだすために溶接したアングル
ドアのボードを取り外し 各パーツの配線 ナンバーを交換して出来上がり
  
 後のバンパーとドアが再生不能、中古部品屋さんに注文したところ浜松で見つかりました。

 ドアは綺麗だったのでそのまま使用、重いので梁につるして取り付け、

 ボルトを通す穴が4箇所のうち1ヶ所がどうしても合わず、穴を一回り大きい錐でもみました。

 バンパーはあちこち傷だらけ、バンパー用のパテで仕上げプラサフを吹いて、メタリック、そして

 クリヤーで仕上げ、吹きっぱなしで暫くそのままにして乗ります。

 ボディ後部の凹みはアングルをT字型に溶接した物の先にバンパーを止めるための

 ボルトと同じサイズのボルトを溶接、これをボルト穴にもみこみハンマーで叩きだす。

 いまの板金は事故時にクッションの役目をするために軟らかく出来てるので、簡単に

 出て来てます。 後はバンパーの取り付け鍵の交換と電気関係の結線で終わり、でも無いのです。

 ナンバーの交換は簡単 なのですが、封印を取ると公道は走れないので、

 車検場まで車で運ぶことになります。 ナンバーは1,600円位で交付してくれます。

 趣味と実益を兼ねてこんな事をしながら日々過ごしてます。

 
  古い製麺機の再生

 幾ら古い製麺機でも調量器以外のメカニズムは今と殆ど変わっておらず、メタルとベアリングの

 交換で 100年以上というよりは半永久的に使える、と思っています。

 さてその調量器ですが、考えた末に非常に安く簡単に出来る方法を考えつlきました、

 お陰さまでこの調量器に替えてから5年間未だ一度も故障したことがありません。 

 部品の交換も蛍光管を替えるように簡単なものです。

 調量器の故障で悩んでいるかた、使わないで倉庫に眠ってる機械のある方、

 貴方の力で叉、現役復帰させられますよ。





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